「平和への願い」が込められた平泉の栄華

岩手県平泉といえば、世界遺産にも登録されている、歴史と文化が色濃く残るスポットです。東北エリアの中でも高い人気を誇る観光地であり、奥州藤原氏の栄華の痕跡を見ることができる地でもあります。

平安時代の一大都市・平泉

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平泉の代表的な観光スポットである中尊寺・金色堂は、国宝にも指定されていて、奥州藤原氏の栄華について知ることができるシンボルです。とにかく「金」を多く持っていたことで有名な奥州藤原氏ですが、平泉はその本拠地として非常に栄えていました。

現在の平泉町は人口1万人未満の小規模な町ですが、奥州藤原氏が最も栄華を誇っていた平安時代末期には10万人以上の人口を抱えていたとされています。

当時は京の都に次ぐ大規模な都市であり、他の豪族や貴族もおいそれとは手を出せないほどの権力を持っていました。朝廷からの信頼が厚く、事実上東北一帯を支配していたほど力の強かった奥州藤原氏ですが、その本質は「絶対的な独裁者」ではなく「無用な争いを避ける中立者」であったと言えます。

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もともと東北地方では、古くから蝦夷系の人々と関東以南系の人々が入り混じり、関東地方や西日本地域とは異なる文化・民族が存在していました。律令制の時代には陸奥国と出羽国が置かれていましたが、政治的には決して平定されてはおらず、水や土地をめぐるさまざまな争いが起こっては多くの命が失われてきた地でもあるのです。そんな争いの絶えない地であった東北エリアを治めた奥州藤原氏、特に初代である清衡に関しては、平和への憧れが非常に強かったことが伺えます。

極楽浄土を作りたかった、藤原清衡

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画像引用:ウィキペディア「藤原清衡」より

長治2年(1105年)、清衡は平泉に本拠地を構え、後の中尊寺となる「最初院」を建立します。このとき清衡は「中尊寺建立供養願文」という文章を起草しているのですが、そこには『今まで殺されてきたすべての命を、平等に極楽浄土に導きたい』という願いが書かれています。まぶしいほどの金で装飾された金色堂ですが、実は財力を見せ付けるためのシンボルではなく、金で「極楽浄土」を再現したものなのです。

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画像引用:発見と発明のデジタル博物館

また、岩泉の人気観光スポットである毛越寺には、極楽浄土を表現した庭園が造られ、現在でもその光景を見ることができます。池・島・橋・阿弥陀堂を配置することで浄土を表すこの様式は「浄土庭園」と呼ばれ、「観自在王院跡」にも浄土庭園が残っています。

平和への願いが込められた「平泉」

庭園で浄土を表現し、奥州に住む人々に「極楽浄土はここにある」と示したとされる奥州藤原氏。争いの絶えない東北地方にあって、独立国家とも呼べる盛大な勢力を誇った跡が、平泉には色濃く残されています。歴史を知ることで、現在も残る観光スポットをより深い面から知ることができます。清衡の切実な願いに思いを馳せながら、世界遺産を巡る旅へ出かけてみませんか?

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