南部鉄器で知る、岩手の製鉄の歴史

岩手県の特産品といえば、「南部鉄器」が思い浮かぶという人も多いかと思います。南部鉄器の鉄瓶で沸かしたお湯は鉄分が豊富で味わいが良く、おいしくて健康にも良い、なんて言われていることも。その名前は全国的に有名である「南部鉄器」ですが、実は岩手県の製鉄の歴史を紐解く存在であることを知っている人は少ないのではないでしょうか。

南部鉄器にまつわる歴史

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17世紀中頃、南部藩主に招かれた京都の釜師が盛岡で作った茶の湯釜。

これが南部鉄器の始まりといわれています。

盛岡には砂鉄や岩鉄といった良質な鉄資源があり、川砂や粘土、漆などの原材料も豊富に揃っていたため、鋳物産業が発展するのに適した条件の土地でした。

また、藩主が積極的に茶道を広めたため、城下の武士や町人にも茶道文化が浸透し、茶の湯釜の需要が高くなっていったという背景もあります。

産業の発展と文化・歴史の発展。

二つの要素によって盛岡の鉄器産業は大きく成長し、南部鉄器は盛岡が誇る伝統工芸品としての地位を確立していったのです。

製鉄によって発展した釜石市

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南部鉄器の歴史を語るにあたり、釜石市との関係は非常に重要です。

実は現在作られている南部鉄器に使われる原料の多くが釜石産であり、釜石から供給される原料あってこそ、南部鉄器の大量生産が可能になっているのです。

また、釜石市には日本発の洋式高炉や製鉄所があり、鉄と銅の産出で国内最大規模を誇った釜石鉱山もあります。

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岩手県の産業・ものづくりの歴史を考えるにあたって、釜石市の存在は必要不可欠なのです。

現在では多くの南部鉄器が、岩手県北部の盛岡と南部の水沢で作られています。

南部鉄器製品を思い浮かべるとき、盛岡や水沢が注目されることが多いのですが、南部鉄器の原料の産地である釜石市の存在も忘れてはいけないのです。

海外でも愛用されている南部鉄器製品

南部鉄器製品は日本国内だけでなく、欧米をはじめとした海外の地域にも輸出されています。

海外で人気の南部鉄器製品は鉄瓶に限らず、風鈴や鍋なども使われています。

また、最近ではカラフルに色付けされた鉄瓶が登場し、国内外で注目を集めています。

フランスではお茶愛好者の間で南部鉄器がちょっとしたブームになっていて、機能性の良さと日本製という安心感から今後もその人気が高まっていくと予想されます。

日本食や日本茶が世界的ブームになっている今、岩手県が誇る名産品である南部鉄器も、世界で活躍する存在になっているのです。

 

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