【ピリカ】本場札幌味噌ラーメンの味を守り続ける

1965年頃(昭和40年代)に大ブームとなったのが、札幌味噌ラーメン。豚骨をにごらせない程度に煮込んだスープに、濃厚な味噌を合わせる。麺は水分を多く含んだ多加水の熟成麺。その上にはたっぷりの野菜。1950年頃、札幌市に開業した「味の三平」が味噌ラーメンの発祥店といわれている。

味噌ラーメンブームは盛岡にも上陸する。1970年代はじめ、大通り1丁目の名店会館1階に「札幌ラーメン盛岡支店」がオープン。秋田県出身の店主が札幌に渡って修業。麺を北海道から取り寄せるこだわりぶりで、本場の味を再現した。店はすぐに大盛況となる。

閉めるわけにはいかない

しかし、開店から数年後、予期せぬことがおきる。店主が家庭の事情から故郷の秋田県に帰らなければならなくなったのだ。

店には既にたくさんのファンがついている。ここで店を閉めてしまっては、お客さんに申し訳ない。従業員として働いていた蒲澤ミサさんは、店を引き継ぐことを決める。本場味噌ラーメンの味は、ミサさんによって守られた。

「当時は12時10分前くらいになると、お客さんたちが我先にと走って店にやって来るんです。12時を過ぎると店内はお客さんでごった返して…。懐かしいですね」

と、ミサさんは振り返る。

その光景を、息子の利行さんもよく覚えているという。高校生の頃からアルバイトで店を手伝っていた。だが、将来はラーメン屋を継ごうとは思っていなかった。利行さんには夢中になっていることがあった。それはカメラで風景写真を撮ることだ。高校卒業後、カメラの専門学校へと進み、カメラマンを目指す。

専門学校を出た後、写真に未練はあったがテレビ業界に入る。テレビカメラで番組やCMを20年以上撮り続けた。

母の味を守る

その約20年の間に、ラーメン業界は移り変わっていた。札幌ラーメンのブームは去り、街には豚骨ラーメン店が増えた。そんな時代の流れが、盛岡にも押し寄せる。40年以上切り盛りしてきたミサさんは高齢になり、店を存続するべきか悩む。

「もう暖簾を下ろそうか?」

2010年頃、家族内で閉店の話が持ち上がった。

それを聞いて利行さんは思った。この店のおかげで自分は好きなことをさせてもらった。恩返しせずにこのまま終わらせてしまうわけにはいかない。利行さんは店を継ぐと名乗り出る。

名店会館で2年営業した後、2012年に矢巾町へ移転。その際、店名を「ピリカ」に変更した。ピリカはアイヌ語で「美しい、良い」といった意味を持つ。

矢巾町に移転しても、昔からのファンは根強く通ってくれる。新規のお客さんにいかに足を運んでもらうかが課題だった。

「今でもお客さんの7割は味噌ラーメンを注文してくださいます。その方々にご満足いただくためにも、スープの取り方から味噌のつくり方まで、母のやり方を忠実に守っています。最近は若い人たち向けに味噌ラーメンの間口を広げようと、ネギ味噌ラーメンやカレーラーメンなど、辛口にアレンジしたメニューを考案しています」

猛暑の夏が過ぎ、季節は秋へ。味噌ラーメンの美味しい季節がやってくる。


店鋪情報

ピリカ

住所 紫波郡矢巾町大字南矢幅第7地割65-1
電話 019-611-2900
営業時間 11:30~15:00
休日 水曜
駐車場 10台

メニュー

味噌ラーメン 600円
味噌カレーラーメン 750円他

この記事を書いた人

丘森 響オカモリ ヒビキ

岩手県盛岡市在住。岩手まるごとガイド編集長。 フリーライターのほか、飲食店向けのレシピ開発やアライアンス等のコンサルタントとしても活動中。

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